「独立独歩。」に追記(思わぬ長文)。そして追記(六月十七日更新)

 おはようございます!
 前々回の記事に少々書きたらなかった部分があったので追記しますよー!
 すみません、リンクの張りかた、できたかと思ったらできていませんでした。 
 なんどかやり直したらなんとかなりました(だじゃれている場合か!)。 文字から飛べます→ 独立独歩。


 あれだな。ちょっと嫉妬や人格攻撃にとられるかも知れない書きかたではあるけど、私が許せない書き手って自己客観性が欠如しているようだ。そして「小説を読むこと」を軽んじている傾向があった。

 最初から環境に恵まれていたり、本人が小さいころから高スペック(か高スペックじゃなくても周りが誉めてくれる)だと、他人と自分を比べて自己嫌悪におちいったり、この人いいなあ畜生!! と嫉妬をおぼえたり、他人に気を遣う必要がなくなったりするよな。
 酷いときには「自分がいいことは他人にもいいこと」と押しつけがち。そこで「それはちがう!」という他者の異論に揉まれないとほんとうに歪んだままの見識になってしまう。その点、小説は手軽に他者の考えを参考にできるツールだと思う。文字情報だけなので絵や映像の表現のブレに惑わされずに考えのみを抽出できるから。映像やマンガもいいけど小説ってすばらしいよね! 自分と文字情報だけの世界っていうかさ!!(たまに……文章として読めないものもあるけど)

 上記の条件でも人格者や努力家はたくさんいらっしゃるはずですが、あえての決めつけ口調で書く。
 後半から小説賛歌でぐだぐだになっていてすみません。

 自分を知るには「他者との差異を自覚しなくてはいけない」し、他人の嗜好や思考を読み取るのって「相手をよく見ることでようやく生まれる」わけで。自分すごい! のまま幼少期~成人になっちゃうともう矯正不可能ですね。よほどのショックでもないと。あと私が許せない書き手たちに共通して言えることは「自分自身の内面を掘り下げてこなかったため、なにかを真似すると自分なりの味がでなくて素材そのまんま(もしくは劣化や腐らせて)で提供→ すぐパクリがばれる」というのがいえますな。物書きは自分らしさを独りで自覚することから始まると思うよ。自分と他人との境界線が必要。


 そしてそういう自己客観視のない人たちが描く作品にはまったく思いいれができないので見なくなるんだと思う、私は。

 なんだかんだ書いていましたが両者に共通しており私の鼻につくのは「見る人へのサービス」より「自分が描きたいもの」が大幅に上回っているところみたい。

 相手の求めることを想定して創作するのはほんとうに大事。

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