キャラクターは推進力。

こんばんは、宮本一二三です。
更新が遅くなりました。


今現在、東映オフィシャルYOUTUBEが、平成戦隊枠で「侍戦隊シンケンジャー」を毎週金曜日に更新してまして、全体的に時代劇的な「わかりやすい和風味」でぜんたいの雰囲気をまとめているのすごいな、と毎回感動してます。
最近は薄皮太夫(敵の女幹部。もともと人間で外道に堕ちた遊女・人間版は声優の朴(パク)・王路(ロ)美(ミ)さんご本人が演じられてます)回だったんですけど、彼女の造形はいつも美しいなーと惚れ惚れします。ガワの鼻筋のライン綺麗なんですよね、中のアクターさんの蜂須賀さんの演技もあいまって非常に艶っぽい。ガワのデザイン・スーツアクター・声優の三位一体ぷりが馴染んでいて薄皮太夫というキャラクターの生々しさを見事に表現しています。
シンケンジャーは敵幹部の色彩イメージを「赤・白・黒」に統一していて、そこも素晴らしいです。
ちょうど見た回は、ラスボスの血祭ドウコクが薄皮太夫を呼び戻すために「水切れ」という敵である外道衆に共通する弱体化現象にもひるまずに三途の川から人間界にやってきたんですけど、本調子じゃないのにもかかわらず、シンケンジャーのメンツを蹴散らしていて強キャラ感が凄まじかったです。
ラスボスはやっぱりああいう絶望的なまでに強い感じじゃないとなあ。
わりと敵幹部回だったんですけど、シンケンジャー側もシンケンレッドこと殿の裏事情をほのめかしていて、本筋を見失わない物語の流れになっています。あっぱれ。

シンケンジャーは言語もほぼ和風で統一しており、妥協がなくて素晴らしいです! ここをおろそかにすると日本人だとよけいに醒めます。なので「和」モチーフは外国より本来は表現はむつかしいのです。嘘・ハッタリの混ぜかたが重要になる。

このままシンケンジャーの素晴らしさを詳細に語るのも私が楽しいのでいいのですが、前ふりとしてはここまでにしておきます。


◇ 戦隊は型「は」決まっている ◇ 
2019-07-27 chara-setu-moji

シンケンジャーは平成戦隊として非常に出来のいい作品(脚本家が時代劇好きの方なのでヒジョーにそれがよく生かされている)なので、今の現行戦隊と比べるとイケナイんですけど、最初に作風をガッチリ決めて、よけいなことをせず主軸がぶれてないのがよくわかるんですよね。

ごくごく最初に方向性(テーマ・なにをモチーフにするか)を決めるのはすごく大事なことで、世界観の雰囲気を決めてしまえば、あとは戦隊ってだいたい主役の5名(初期メンツ)・闘うべき敵(ラスボス・幹部メンツ)・仲間の追加メンツ部分を「作風からはなれないように」埋めていけば、だいたい崩れることはありません。
色分けもされていますし、キャラクターを立てるにはすごくやりやすいのでは、と思います。
キャラつくりって人によって適性もありますし、慣れもいりますが。

わかりやすくたとえると、「方向性・世界観・設定」は乗り物・「キャラクター」はそれを動かす推進力・「物語というか話の流れ」は旅の旅程、みたいな感じでしょうか?

乗り物(設定)ができていなかったら、推進力(キャラ)があっても適切に動かせませんし、推進力(キャラ)がちゃんと調合されていないと乗り物(世界観)がそもそも動かせないのです。動かないということは、物語(旅の旅程)も進まない、ということですね。
物語(旅の旅程)が白紙だと、乗り物(世界設定)や推進力(キャラ)を作っても、作品として成り立たなくなってしまいます。
当たり前ですけど、ぜんぶをカッチリ組みあうかたちにすると、作品自体のクオリティーは高いものになります。
目指す方向性が決まっているとよけいな労力やよけいな表現がなくなりますので、制作者の狙いも伝わりやすくなります。

で、キャラクター作成法に話を移すんですけど、戦隊はだいたいモチーフを決めてからキャラクター制作をするとして、だいたい役割からキャラを考えていくと破綻が少ないです。
こういうキャラクターが使いたいんだけど、という個人的な好みは脇に置き、「このキャラは信念上、べつのこのキャラとは反目しあうだろうな」、「このキャラ同士は昔からのなじみで息があう」、「このキャラは暴走しがち」、「このキャラはヒントをだしてくれる役」、などの話を動かしやすくなる、もしくは、世界観や話を理解させるのにふさわしいキャラを配置してやるわけです。
お話を作るのに慣れている人だったら、頭の中にあるていどあらすじのフォーマットがあって、キャラクター配置時点でだいたい起こりそうなイベントやキャラクターへの難関の流れを作れるんじゃないですかね? スゴイ人だと全体図見えそう。

キャラクターには役割か目的を与えること、コレが重要で、主役級のキャラクターには初手から目的を語らせることが重要になってきます。
漫画なんかは特になんですけど、「1話からキャラクターが理解できて、主人公の目的がハッキリしていない」と物語の軌道が危ういです。
群集モノでも、主人公が「俺はこうしたい!」って主張をハッキリ表現していたら、脇役に埋もれたり本筋がズレたりすることはまずありません。

私、名作小説を元にしたヒッドイ出来のコミカライズを知っているんですが、あの漫画はメインキャラの少年より本来なら脇役でキャラの内面描写を主にするべきじゃない少女に合計で主人公よりコマ数を10コマ以上も割いている回があって(読んだ印象があまりにも酷いので数えてみた・暇人!)、脇役のコマ数比較的すくねえなってところはそのキャラのドアップ大コマ(主人公は表情を描かずに見切れていることが多い)だったり、思考のフキダシが脇キャラばかりにあって、ホンマなんだこりゃでした。
自分の趣味は脇において主人公視点で描けないのは、本当にプロ意識希薄だと思います。
(私はアカデミックな絵を習っているとき、「自分のよけいな嗜好や思考は表現の邪魔になるのでなるたけよけいな偏見や悪感情を混ぜないようにする」という心持ちを自然にならったんですけど、漫画でも一緒じゃないのかな?)

このコミカライズは必要性が薄くて数ページで終わらせるシーンを2ヶ月ぶっ通しでやっていたりと(ずたぼろのオッサンを描きたかっただけのリョナ趣味しか感じなくて作者の闇見える)こういうのは論外です。というか主役側を適切に描写できないのになんでコミカライズ引き受けたのか心底理解不能。軌道修正しない担当編集者も謎。匙投げたの?

キャラクターを巧く作っても、物語やキャラクターを巧く運用できないムダ設定を入れるのはコンテンツを殺すので止めたほうがいいです。とくにこういうたくさんの人が制作に関わるコンテンツだと、「作品自体を共有し、適切に運用し、発展させる」ようにつたわりやすい世界設定を作らないと意味がありません。

「表現=情報の共有」なのは、受け手だけじゃなくて作り手同士でもおなじことなのです。


素人がゴチャゴチャほざいておりましたが、以上です。
このような深夜の長文におつきあいいただきありがとうございました。



◇ 7月27日のミヤモト ◇ 最近過去の平成ライダーと戦隊ばっかりに燃えてる。
先々週YOUTUBEで東映公式配信されていた「仮面ライダーキバ」のチェックメイトフォーのルークが目覚める回を前倒しで見ていてよかったと振り返ってます。リアルで無辜の人が死ぬの大変辛い。ふつうに金曜の朝ギリギリ視聴していたら事件の翌日に直撃していたのであのときばかりは続けて4話ぶっ通して見ていてよかったです。どうしてそういう描写になるのか物語の構造を分析して理解できるだけお話は救いようがあるのですけど、現実の人死は理由を知ったところでやりきれないです。
酷い事件なんて起こらないのが一番いいことですよね。 
あの事件の翌日、失われた物や人を考えると怒りなのか悲しみなのか理解できないわけのわからない感情に襲われて自室の窓を意味もなくピカピカにしていました。

「仮面ライダーキバ」は紅音也が好きです。
なんか気障でチャラ臭かったのに話が進むにつれだんだんかっこよく見えるのが俳優さんスゴイな。
主人公の紅渡とは生きた姿では接点ないんですけど、音也が関わった人たちが間接的に渡に道を示しているところなんかが素敵だな、と感じます。それに引き替え名護さんの残念さ! だが名護さんはアレでいい。

今日はちょっとかの特撮ツッコミへの補足的な内容の新記事を書ければ、と思います。 半分自分のためです。

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