「描かない」ことにも意味があることを須藤真澄漫画は教えてくれる。

こんばんは、宮本一二三です。
先日、少々須藤真澄先生の漫画を買った話題にふれたので、より詳しくその話題を語ろうと思います。

さて、須藤真澄漫画といえば「若い女の子の顔がほぼ全員いっしょ」(ご本人談)ということで有名だったりしますが、須藤真澄先生はまた、デフォルメでジジババ世代の人たちをものすごい達者なタッチで活写する達人でもあります。ホントこれすごい。
漫画の絵の顔の皺ってむつかしい上にシンプルなデザインだとちょっと位置をしくじると見られたものではなくなることが多いのにすごく潔く的確な位置に描いてあります。あと須藤先生の漫画って、メインキャラで動かされることの多い少女たち以外は鼻が省略されていることが多く、ちゃんと絵として可愛らしいのに凡百な萌え絵とは一線を画すものがあります(萌え絵に失礼な言い方でスミマセンが、あの系統の絵は少女キャラは鼻が点や線で簡略化されがちで年配者が鼻を強調されがちなので対比して書いております、あしからず)。

人相学の本に書いてあったんですけど、「鼻=自我の象徴」なので、自我をもたせて描きたいキャラは無意識に須藤真澄先生は鼻を描き、妖精的ファンタジー味をもたせたいキャラには鼻を描かない傾向にあるんじゃないでしょうか? 太陽系の惑星の頭文字をとった短編集にでてくるおネエキャラ三兄弟姉妹なんか、顔は濃い(一人をのぞいて、ヒゲも)んですけど須藤マジックで鼻の描写は消失してます、上のふたりと方向性のちがう中性さを持つ末っ子以外。
彼ら……じゃない彼女らはみんな物に不思議な力を宿らせる能力を持っており(例: 長女は帽子に運を宿らせる能力を持っている、など)、やはり浮世ばなれしていてフェアリー的です。

――で、ここからが本題にはいるのですが。

最近、「どこか遠くの話をしよう」という上下巻で完結している須藤先生の漫画を買いまして、話の内容が異質だったのもあったんですけどどこかしら違和感をおぼえていたのです。
なんでだろうなー? と絵を見返してみたら、主人公は10代前半の女の子のチロと、記憶喪失でのちのち名前をつけられるプラチーノという老境に差しかかった男性なんですけど、彼、めずらしく須藤真澄漫画の成人男性なのに鼻筋を描いてあるんですよね。村長も鼻しっかりありますけど、村長のばあいは立場的に目立たせるという理由とデザイン的な関係があってのことだと思います。

そう、須藤真澄漫画においては、主人公=鼻のラインが入っている人、のことが多いんです。
うっかりネタバレしたくない漫画なので詳しくは語らないんですけど、「どこか遠くの話をしよう」はチロとプラチーノがダブル主人公で、ヒロインがチロのお婆ちゃんみたいな偏った人員構成(誉め言葉)のお話なので、主人公とわかりやすいチロだけじゃなくて物語を動かす意志のあるプラチーノにも鼻の線が描かれているんですよ!!
(西洋人だからとか顔が長いキャラなのでキャラクターデザイン的な意味で鼻線があるのかもしれませんが……)


◇ 可愛いじいばあ描かせたら日本一 ◇ ※ 個人の感想です。
2019-06-26 baa-chan
上の絵は主人公チロのばあちゃんです。ちょっと悲しいことがあって言葉が話せなくなっています。
須藤真澄先生の御作は、家族構成がしっかりしていて、ちょっと異質な家族構成が描かれることも多いんですけど、作品内でしっかり説明がされ、かつ、作中キャラの立位置や考えなんかの納得感の元になっているので、毎回心から感服します。
ライトノベルの作り方の話で知ったんですけど、「主人公に両親がいるばあい、作中で両親を登場させなくてはならない」という原則があるらしく、超常現象やらSF的なことやら魔道的なことやらが起きやすいラノベでは両親がいるとそのリアルさは都合が悪かったりするので海外に行っていることが多いんですよね(もしくは片親)。

家族構成って「いることにも理由がいるし、いないことにも理由がいる」ので、そこのバックボーン部分をしっかり設定されていて登場キャラにも反映されていると安定感がでます。チロも両親がおらず、おばあちゃんとふたり暮らしですが、ちゃんとふたり暮らしの理由は語られており、情報の出しかたがとてつもなく丁寧です。
二巻の回想シーンがかなりヘビーですが(一度目は平気だったのに再読時泣いた)、情報の無機質さがよりいっそういろんなものを強調している感じがします。

ペシミストな人は鼻で嗤うかもですが、ふわふわさでシリアスを巧く包んでいる感覚。これは須藤真澄先生にしかだせない味わいだと私は思います。

須藤真澄先生はまた、「少女やご老人は好んで描くけど青年期の男性は苦手で描かない」という特異で稀有な漫画家でもあります。
「萌葱」という少女が主人公の新旧漫画を自薦であつめた作品集のあとがきで、作風が偏っていると自虐されていましたが、よけいな物の混じっていない澄みきった井戸水、みたいな作風は唯一無二です。あの不思議な線の途切れ方をしている絵や透明感のあるさわやかな色使いもですね。
独特すぎるので嵌る人はものすごく琴線を揺さぶられる漫画家さんですな。

しょーもない余談なんですが、上記の「どこか遠くの話をしよう」はちょっと今から本格的にかく予定の「天星神話」にほんのりと似ている部分があって(「銅鑼ヱもん」と「ラピュタ」くらいは異物の表出方法はちがいますが)、あーコレ発売当時に読んでなくてよかったし、可愛い三つ編み少女成分で元気でたぜ! となったので結果オーライです。
こっち思いきり青年期の男子だすしガッツリ恋愛だしキーアイテムやキーパーソンもいろいろちがうので平気さ。
自分が読みたい作品はけっきょく自分にしか描けないみたいなところはありますね!




◇ 6月14日のミヤモト ◇ 
元気だけど求職へのやる気スイッチが入ったり切られたりです。

最近、自室の大量にある漫画の整頓をしたんですけど、なんでか捨てられない漫画はほぼそのまんまだったりします。
なぜか「ワルサースルー」という悪い組織のドタバタギャグマンガが大好きで残してます。
アレ、主人公(?)のポッチンのキャラクターデザインが秀逸なんですよね。異形さぐあいが。
全二巻でスッキリまとまっているところも素敵だと思います。

それはさておき、最近「アルテ」という16世紀初頭のイタリアはフィレンツェの女性画家の漫画にハマってしまい、たびたび読み返しては燃えと萌えを吸収しています。
主人公のアルテも前向きな頑張り屋で可愛いんですけど、この漫画は女性作家なだけあり脇役の女性キャラの造詣が自然体で最高です!!(社会の暗部描写がシビアでリアルだけど、厭な暗さまではいっていない感じ)男性キャラは夢を持ちつつけっこう計算ずくで置いている感じしますねー。でも、異性の捉えかたがニュートラルでバランスがいいです。夢と現実のバランス感覚が抜群な作家さんなのだと思います。

とてもオモシロくてオススメですが、とちゅうの数巻抜け落ちているため(あと最新刊まだ買ってない!)、早いところ買って通しで読みたいですね。いい漫画は何度読んでもいいものです!!

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