「ヘイト創作」はなぜ害悪か?

おはようございます、宮本一二三です。
このブログの記事のために、ガラケーに未送信メールとして複数ネタをメモしていました。
メールじたいはもう消してしまったんですが、その中のひとつに「悪辣な人が創作に携わると、作品世界で冷遇される登場キャラクターのほうがメインキャラよりよほど世間一般から見る『いい人』なのは、悪辣な人がふだん下に見て利用しようとする人じたいが冷遇キャラとおなじ『いい人』だからなのでは?」説、という文章がありまして、今回はそういう話をダラダラーとしようと思います。
(本来は6月中に更新する予定でしたが、なんやかんやあって今さらの更新になりました)


◇ 楽しい・明るいに9割の人たちは惹きつけられる ◇ 2019-06-06 mojimoji
(最初からよくないものと表記するならともかくも、明るい楽しい物語と標榜していて受け手を裏切る作品が叩かれるのは自明の理です)


――さて、ここから本題です。

最近、あちらこちらの分野でヘイト創作の動向をときどき追っておりましたが、意識的にやっている無意識にやっているかかわらずヘイト創作がとおった後って本当に不毛の荒野化してしまって悲しくなってきますね。

ヘイト創作のどこが駄目かって一言で説明すると、制作陣をふくめ「誰も幸せにしない」からです。 (「・ω・)「ガオー

他人が築き上げた物を台無しにしようとか舞台裏から足引っぱったろうとか、それ以前に、そういう制作陣の思考は「それまでに出来た創作物の価値を押しのけて自分の価値観を押しつける、傲慢な考え」なので、今まであった作品世界を踏襲した幸せな価値観を望む受け手やお客さんの価値観とは一光年くらいの距離間があり、到底受け入れられるべきものではないわけです。まあ当たり前のことを書いているだけなんですけど。

それでいて、なぜ、制作陣自体にダメージが行くかというと、モノを生みだすという行為は本来はプラスの原動力を元にしていることが多いからです(いいもの作って儲けたいとかモテたいとかも含めますが、世間で望まれるかたちでの面白い物を作ることが大前提です)。まあコレ8割~9割くらいであとは怨念ぽい思考から発するマイナスな作品もあるかと思いますが、だいたいの世間一般の人たちは前向きな物語を望んでいます。
結果的には前向きじゃなくても、主人公やまわりの状況の変化や進歩が最後では存在することが望ましいのです。

他人の創った世界観やキャラや物語を貶めるというのはマイナスですよね。
マイナスを続けるのって、ものすごくモチベーションを失われるんですよ。
そのマイナス部分を補填するため、さらなる改変や自分勝手を積み立てていってしまう。
傍から見ていれば地獄絵図です。


他人様が面白くしようと考えぬいて、さまざまな状況や選択肢やキャラクターの思惑や理屈でもって整えて練りあげた物語を変えるのって、改変者じたいの屁理屈やゴネやエゴの押しつけなので、回を増すごとに改変した部分からドンドン破綻してきます。
こういう改変者は、物語の筋立より自分のエゴに忠実なので、自分が押しているキャラを「周囲の評価や受け手の意見などを無視して」ゴリ押ししがちなんです。過去作主人公をないがしろにしたり、過去作主人公を「誰だお前!?」状態にしたり、酷いものによっては現行主人公を不当に貶めてそれでイケるなんて思いちがいをしたりします。

人間の能力には得手不得手があるので、主人公目線で物を見ろよ、とまでは書きませんが、主人公の状況や物語における役割などを客観視できないのはキャラを駒として見る作家だとしても致命的です。
受け手の人って主人公に共感とか憧れとか同情とか、なにかしらの感情の動きがないと物語世界にはいってきませんからね。そこの風味を薄くしたり、貶めたり、そもそも主人公ふくめキャラクター達の役割や目的を考えていないのは論外です。
「考えてない」ってのはキャラの魅力じたいを汲みとったり分析を行わないことだけではなく、話の整合性を無視してほかのキャラに設定をモリモリにしたり、本来ほかのキャラがやるはずの出来事をとりあげてほかのキャラに与えたりすることも含まれます。

「もう、コイツ一人でいいんじゃないかな?」ってのは、物語をワンパターン化させて本来多彩だったはずの展開の色色をなくしてしまいます。
絵具をなんでもかんでも混ぜると汚い色になるでしょう? アレとおなじです。 
そういう未来を避けるために、作り手は初手からキャラクター同士の色がかぶらないように必死で考えるわけです。まっとうな作り手であるならば。


ヘイト創作の制作陣に対する「不幸」はまだあって、多数の人から恨みを買う&未来の顧客が望めなくなる、というのもありますが、ちょっとオカルトめいたことを書きますが、創造的な考えが降ってこなくなる、というのもあります。想像力や感受性の欠如ですね。
多くの人の心を動かさなくてはいけない作り手には致命的ですし、作家的な寿命も縮んでしまいます。

そもそも、他者が創った世界観を受けとるには、作品を好きになったり、共感したり、感動したり、とにかく自分の中に受けいれることが必要になってくるんです。無私の心で受けいれてこそ、いい表現が出来るわけです。受けいれられない作品を必要悪以上の改変もせずに表現できる制作者は熟練者か真の大人です、そういう方たちは信頼も尊敬もできます。

そもそも作り手自身の性格の良し悪しは置いておいて、他者の作品のよさに寄りそえない&分析や理解を出来ない人間が、後継になって良作を産みだせる物でしょうか? ……無理でしょうね。

「始まる前から負け戦な結果になることを読みとれないような人間がヘイト創作に走る」のだろうと帰結できるんですが、それにしたって、最近のアレコレは精巧に出来た複数の絢爛豪華な砂の城が大波に呑まれて跡形もなくなる前兆みたいでゾッとしませんな。諸行無常。


――まとまりませんでしたが、以上です。 ヽ( ´_`)丿
このような駄文を最後まで読んでいただき有難うございました!



◇ 6月2日のミヤモト ◇ ※ 食事中の方ごめんなさい。
2019-06-02 kyoumiya
創作方面への意識が活性化してきてなによりなんですが、今朝皿洗いしたあとに思いついたのが「龍天界起」での龍族のトイレ問題の改定案だったりして、あいかわらずヘンな設定を考えているほうが楽しいです。
彼らの生活はレトロとフューチャーの融合なのでいろいろ説明が大変なのです。

現実とかけはなれた生き物がリアルに生活している設定って、今の現代人からみたら意味ワカラン部分がギャグというかおかしみになるんですけど、昔の人の知りえなかったことを嗤うよりよほど上質な笑いだと思います。思考をロケットに乗せる勢いでふっとばすのには相当の熟練度が要りますけどね。


しばらく引きこもって頑張りますよー。 
(*・`ω´・)ゞ

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント