舞台化と画素数

こんばんは、宮本一二三です。
私はヨタ話関連でセンニン(選人)という、中国の道教における超越者である仙人を元にした種族を描いているせいか、自分の筆名+センニンでエゴサーチしますと最近、ミュージカル封神演義の画像が引っかかります。藤崎竜ことフジリュー先生の漫画らしいキャラクターデザインのある意味キテレツな(誉め言葉です!)服を実写の人というか現実の俳優さんがそのまま着てます、スゴイ!!

スチール写真を数点見たんですけどあの服着て違和感ない、というか面白そうなのがズルイ(意味不明なことを書いてます)。
顔にドーランを塗って肌の表面を凹凸を円滑にしていたり、適切な光源つかいや写真の腕で見た目をだいぶ整えてらっしゃったりするんでしょうけど最近の若い俳優さんはCGめいたつるっとした綺麗な顔の人多いですね。だいたい実写の人、というか現実の人が二次元の服を着ると画素数(造形の情報量)が二次元と吊りあわないので人間のほうが目立ってしまって不気味の谷現象というか違和感と作り物臭バリバリになっちゃうんですけど、縫製技術や小道具の技術やCG加工(背景のエフェクト)が向上しているからかカッコよく見えます。いい時代ですねー。


◇ なにはともあれメデタイ ◇ 
2019-01-27 tyuugoku-sinwa-no-are

いい漫画が実写化してもカッコイイ、という夢のような時代なんですけど、私が「複数の絵描きを無秩序に詰めこんだ作品」を苦手とする理由が明確に理解できました。
絵描きさんによって画素数というか絵の情報量(描きこみ量や明暗差や重厚感のあるなし)があまりにちがいすぎるんですよ。 
(´・_・`)


カードゲームみたいに一枚絵で完結している作品や、メイン絵描きが決まっていてサブとしてほかの絵描きが担当しているのは平気。おなじ画面内にちがう絵描きが大勢つっこまれているのを見ると悪酔いするような感覚になる。画風が苦手かどうかとか絵が上手い下手うんぬんの話じゃなかったみたい。問題は画素数(あからさまな粗密の差)だったんです。

ひとりの絵描きさんが、意図的に自作内で画素数をいじるのとはあきらかにちがうんですよ、アレ。
そういや漫画家のアシスタントさんなんかは先生が描かれたメインキャラとくらべて意図的に画素数落としますよね。
ああいう感覚は大事にしたいです。
なにかを表現する時にどこに重点をおくか真剣に考えてみたいと思う。



◇ 1月27日のミヤモト ◇ 
昨日、新記事のために描いたらくがきみたいなマウス画二点なんですけど、シルビア姐さんは人のかたちにそっているのでウィンドウズフォトギャラリーさんから「これは誰ですか?」と聞かれることに疑問を抱かないんですけど、フジリューデフォルメ太公望絵までおなじことを聞かれて「フジリュー凄い!」とビビリました。あんなに省略した造形をしているのに。

さて、あまり需要もなさそうなOTAKUふたりがただひたすら駄弁っているような新記事を準備中です。
ちょっと止まっている記事の内容を理解しやすい部分も混じっているので、そのためです。
昨日は結局いろいろあってゲームやらずじまいです。
以前描いたシタガキ着彩なんかをしてました。

ナニカに飽きたりストレス解消がてらナニカはかならず仕上がるので、いい馬車馬システムだと思います。
馬と一緒で、数日おきに休みますし。

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